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横浜地方裁判所 昭和54年(行ク)3号 決定

申立人 佐藤良 外六一名

被申立人 藤野町教育委員会

主文

本件申立をいずれも却下する。

申立費用は申立人らの負担とする。

理由

第一  申立人らの申立の趣旨及び理由の要旨は、別紙一ないし三記載のとおりである。

第二  被申立人の意見の要旨は、別紙四及び五記載のとおりである。

第三  当裁判所の判断

一1  (本訴の提起と、本件就学通知処分)

本件疎明資料によると、申立人らは、いずれも藤野町牧野地区の住民であり、昭和五四年四月一日以降各子女を中学校に就学させる義務を負う保護者であるが、被申立人は、昭和五四年一月三一日申立人ら(ただし山崎洋子を除く)及び申立外山崎好光に対し、同人らがその保護者である別表1目録申立人らと同一番号内の学令生徒欄記載の学令生徒(以下「本件生徒」という)の就学する学校を藤野中学校(藤野吉野八八七番地所在)とする就学通知処分(ただし申立人らはこれを就学指定処分としている。以下「本件就学通知処分」という。また、申立人河内国江については、右就学通知処分は、すでに死亡した同人の夫河内雪夫名義でなされたが、右は明らかな誤記で申立人河内国江に対してなされたものと認める)をなし、同通知は、そのころ申立人ら及び申立外山崎好光に到達したことが一応認められる。

そして、申立人らは右処分は無効であると主張し、昭和五四年二月三日横浜地方裁判所に対し就学通知処分無効確認の訴(同裁判所昭和五四年(行ウ)第二号事件)を提起した。

また、本件疎明資料によると、申立人山崎洋子は本件就学通知処分の名宛人ではないが、就学通知処分の対象となつている学令生徒山崎幸子の母であり、親権者であつて同人の保護者であること、従つて被申立人が同人の夫山崎好光に対してなした就学通知処分の効力を受けるものと解すべきであるから、右処分を争う当事者適格を有しているものと認めることができる。

2  (本件申立に至るまでの経緯)

本件疎明資料によれば、次の事実を一応認めることができる。

(一) 本件紛争の発生した藤野町は、神奈川県の最北部に位置し、北方は陣馬山の分水嶺を境に東京都八王子市に、西は山梨県上野原町に接する県境の山間地域であつて、昭和三〇年、吉野町、小淵村、沢井村、日蓮村、名倉村、牧野村、佐野川村の七か町村が合併してできた町であり、そのため小、中学校としては、小学校一〇校と中学校三校(藤野中学校、牧野中学校、佐野川中学校)が設置されてきたのであるが、昭和四一年学校統合整備委員会が設置されて、町立小、中学校の統合、整備の検討が始められ、昭和四二年には、これとあわせて「藤野町立学校建築基金の設置、管理及び処分に関する条例」が制定され、昭和四二年度から基金の積立がなされ、昭和四六年六月時点で九〇八二万九八九七円の積立がなされた。

(二) その後、昭和四五年に入ると町当局は、藤野中学校、牧野中学校、佐野川中学校についてこれを統合する方向での検討を始め、そのため、同年一〇月、町議会議員二二名、教育委員四名、学識経験者六名、婦人代表三名、学校長四名、PTA会長四名、町理事者四名の合計四七名の委員からなる「藤野中学校統合推進協議会」が設置され、以後地域住民の意向聴取、説明会等が開催され、通学条件の整備等の条件付賛成の者を含めて町民大多数の意向が統合に賛成であることが判明した。

そこで、被申立人は、昭和四六年二月一七日、町長の申出に係る藤野町立中学校の統合及び廃止並びにこれに関する条例案の意見申出に関し、審議のうえ、教育委員全員の賛成で同意の議決をなし、同日町長に対し、条例案のとおり同意する旨の意見の申出を行なつた。

他方、前記協議会は、町長に対し、同年三月三日統合の可否については賛成三二名、反対三名、統合の時期については同年九月一日に賛成三一名、反対四名である旨の中間答申を行ない、さらに同月二二日従前の三中学校を廃止し、新たに藤野町立藤野中学校を設置し、統合の時期は同九月一日とする旨の答申書を提出した。

右経過を踏まえ、同日、牧野中学校及び佐野川中学校を廃止し、実質的統合を内容とした「藤野町立小学校及び中学校の設置に関する条例の一部を改正する条例(施行期日は同年九月一日)」が町議会に提案され、統合反対派議員等による質疑討論を経て採決した結果、全員一致で右改正条例案が可決され、翌二三日公布された。

(三) ところが、右条例が制定されるや、従来の牧野中学校及び佐野川中学校区の住民が中学校の統合反対をとなえて紛争を生じ、牧野中学校、佐野川中学校の存続についての陣情が町議会、県議会等に対してそれぞれなされると共に、横浜地方裁判所に対し中学校廃止処分の無効確認の訴(同裁判所昭和四六年(行ウ)第一九号事件)が提起され、また町政においては、中学校の統廃合を争点として昭和四六年八月には町長選挙が、同年九月には町議会選挙が行なわれ、町長選挙では従前統合を推進してきた町長が落選し、統合反対派で右訴訟の原告ともなつていた森下健治(当裁裁判所に顕著な事実)が当選した。

(四) 被申立人は、実質統合するための藤野中学校統合校舎(以下「藤野中学校本校舎」という)の完成予定が昭和四七年六月であつて、前記統合関係条例の施行期日である昭和四六年九月一日までに間にあわないため、同年八月ころに従前の牧野中学校、佐野川中学校の各校舎を同年九月一日から藤野中学校牧野校舎、同佐野川校舎として使用することとし(なお、その後右中学校は、公式には藤野中学校牧野校舎、同佐野川校舎と呼ばれることになつたが、本件申立人らにとつては、牧野中学校、佐野川中学校そのものと意識されている。しかし本件では以下「牧野校舎」「佐野川校舎」という)、その旨の就学通知をそのころ各生徒の保護者に対してするとともに昭和四七年度新入学生徒も同様の措置をした。これによつて、牧野地区、佐野川地区においても統合に賛成の住民の子女の一部生徒は藤野中学校本校舎に通ううことになり、実質的に一部統合が行われることになつた(なお、佐野川地区の右生徒らは昭和四九年から牧野地区の右生徒は昭和五〇年から現在に至るまでスクールバス二台及び路線バスによつて登下校している。)。その後、昭和四六年八月着工の藤野中学校本校舎建築工事が昭和四七年六月完成し、同年九月一日から校舎として使用されている。

(五) その間、昭和四七年八月九日には、町長、町議会副議長、教育委員長、教育長、統合反対運動の代表者らが協議した結果、「統合は無期延期とする。八月中に条例改正を行なうよう最善の努力をする。」との念書を取り交わしたものの、その実行をみるに至らなかつた。

(六) 右のような状況のもとで被申立人は、昭和四八年一月実質的統合を実現するため、新しく一年生を始めとして二、三年生徒の各保護者に対し藤野中学校への就学通知をなしたが、従来の牧野校舎、佐野川校舎で授業を受けることを希望する父兄は昭和四八年二月一三日横浜地方裁判所に就学指定処分無効確認の訴(同裁判所昭和四八年(行ウ)第六号事件)を提起し、あわせて右処分の執行停止の申立(同裁判所昭和四八年(行ク)第一号事件)をなし、裁判所の勧告もあつて、牧野校舎、佐野川校舎で授業を受けることを希望する者についてはそれを認める措置をとり現在に至つている(以上の事実は当裁判所に顕著な事実である。)。

(七) 同年四月に至り、中学校を三校とするための前記設置条例改正の直接請求がなされたが、同年六月町議会に提出された同条例改正案は否決され、一方町長の解職を求める直接請求がなされるに及んで、前記森下健治町長は退職し、同年七月統廃合問題を争点として町長選挙が行なわれた結果統合賛成派の町長が選出され、さらには、同年八月町議会解散の住民投票が行なわれ、解散請求が否決されるなど中学校の統廃合をめぐつて町政は大きくゆれ動く状況となつていたところ、昭和五〇年二月に至り県議会議員が仲介に入り、地元住民代表者との調停がすすめられ、昭和五一年六月に県教育委員会の選任に係る「藤野中学校統合問題調査団」が設置されて右調査団によつて問題点が検討され、昭和五二年一〇月右調査団の報告書が藤野町に提出された。右報告書は、本件統合が妥当な施策であると認めた上で、町当局としては通学対策及び藤野中学校が藤野町全町民の共通の中学校であることの認識が持てるよう努力すべきであるというものであつた。

(八) そこで、町及び被申立人は、とりあえず通学対策として従前使用していた二台のスクールバスの上にさらに一台を購入し、三台のスクールバスによる運行計画をたて、昭和五四年四月から完全統合を実施することとし、被申立人は、同年三月三一日をもつて、牧野校舎及び佐野川校舎を廃止することに決め、同年一月三一日付で藤野中学校新入生全員及び牧野校舎、佐野川校舎に通学する新二、三年生の各保護者に対し、同年四月一日以降藤野中学校(本校舎)に就学するよう就学通知処分をしたものである。

以上の事実が一応認められる。

二  事実の経過は以上のとおりであるが、本案についての理由の有無は暫くおき、まず執行停止の積極的要件である本件就学通知処分により申立人らが回復の困難な損害を蒙るか否かについて検討する。

ところで、回復の困難な損害というとき、通常は金銭賠償の対象となる場合が多いので、多くの場合は金銭賠償の可否を前提として判断されるのであるが、本件は教育を受ける権利又は教育を受けさせる権利という金銭に見積ることができない利益が直接問題になつているので、本件就学通知処分によつて右の権利ないし利益侵害の損害が生ずるか否かについて検討をすすめることとする。

1  申立人らは中学校統合問題が最終的に解決するまでは、少くとも前記一2認定の如き従前の七年間にわたる取扱いが継続されると信頼してきた本件生徒及びその保護者である申立人らから一挙に牧野校舎を奪い、これを消失せしめ、本件生徒らに通学上の不便を強いることは、図り難い就学上の不利益及び精神的な苦痛を与えるもので回復の困難な損害にあたると主張する。

しかしながら、本件疎明資料によると、昭和四六年三月二二日の昭和四六年第二回町議会においては、全員一致で牧野中学校の廃止を含む中学校統合廃止を定める条例の一部改正案が可決され、翌二三日適式にこれが公布され、手続的には有効に成立したにもかかわらず、その直後から、反対派住民の統合反対運動がおこり、これが町を二分する紛争となつたため、双方が何とか話合いで解決しようとして、暫定的に従前の牧野中学校を藤野中学校牧野校舎の名のもとに残存せしめることとし、右条例の目ざす実質的な中学校統合が延び延びになつてきたものであり、被申立人が昭和五四年一月一九日に同年三月三一日をもつて牧野校舎を廃止することとし、右条例の実質的実施に踏みきつたもので前記一2認定のように数年間にわたる話合(裁判所における和解勧告も含む)、説得、中立調査団による報告の趣旨をふまえたものであるから、これをもつて必ずしも不意打ち的になされた牧野校舎の廃止及びこれにともなう通学上の不便とは言い難く、また、被申立人が申立人らの信頼を急遽裏切つたので図り難い精神的苦痛を与えるものであるとする主張も当たらない。

2  次に、申立人らは藤野中学校本校舎に通学するにおいては、通学条件の悪化によりその保護する子女の教育を受ける権利が侵害され、回復の困難な損害を蒙ると主張する。

ところで、教育を受ける権利を侵害されて困難な損害を蒙るか否かは、申立人ら及びその子女である本件生徒らが、従前受けていた(新一年生については受ける予定の)中学校における教育環境と、本件就学通知処分によつて就学することになる中学校における教育環境との対比によつて総合的に評価考察し、それが従前より劣悪になり著しく教育を受ける権利を害されひいては申立人らの教育を受けさせる権利が著しく害される場合にはじめて回復の困難な損害を蒙ると解すべきものである。

(一) 本件疎明資料によると、申立人らの居住する牧野地区は、別紙図面のとおり、藤野町の南側に位置し、南北に約六キロメートル、東西に約五ないし七キロメートルの山間の地域であつて、面積的には藤野町の約四割を占め、そこに二二の部落が散在していること、そのため小学校として、東北部の篠原に篠原小学校(藤野町牧野二八八一番地所在)、中央の大久和に牧野小学校(同町牧野四三二七番地所在)、北西部の大鐘に牧郷小学校(同町牧野七〇二九番地所在)、南部の菅井に菅井小学校(同町牧野一一六九五番地所在)の四校があり、元来地理的に交通が不便であること、本件生徒らの自宅と牧野校舎、藤野中学校本校舎及びスクールバス停留所との各距離及び位置関係が別表5及び別紙図面のとおりであること、ところで、本件の就学通知処分によつて、本件生徒らは別表4、5及び別紙図面のとおりの方法で、原則として被申立人の準備するスクールバスによつて藤野中学校に通学することになるが、これによれば、

(1) 篠原上、中、下、田ケ岡、新和田からスクールバスに乗車する本件生徒らは、従来牧野校舎まで一時間前後を要したが、今後は自宅から登校時三五分ないし四〇分下校時一五分ないし二五分で藤野中学校本校舎に通学できることとなり、通学条件が改善され、

(2) 奥牧野、小津久からスクールバスに乗車する本件生徒らは、従来牧野校舎に六〇分から七〇分を要したが、今後は登校時二〇分ないし二五分下校時約四〇分で藤野中学校本校舎に通学でき、通学条件が改善され、

(3) 堂地、吉原入口、馬本からスクールバスに乗車する本件生徒らは、従来牧野校舎まで二〇分から三〇分を要したが、今後は登校時一〇分ないし二五分下校時三〇分ないし四〇分程度で藤野中学校本校舎に通学でき、

(4) 牧野校舎に近い中尾、大久和、扇久保、小舟、さらには、従前もバス通学が便利であつた長又の各スクールバス乗車場所から乗車する本件生徒らは、従前より所要時間が多くかかることになるが、それでも藤野中学校本校舎までの登、下校の所要時間は一五分ないし三〇分であり、

(5) 綱子入口、菅井からスクールバスに乗車する本件生徒らは、従来牧野校舎まで徒歩で六〇分から七五分を要したが、今後は登、下校の所要時間が二五分から四〇分前後で藤野中学校本校舎に通学でき、

(6) 菅井小入口からスクールバスに乗車する伏馬田部落の本件生徒らは、従来の徒歩及び路線バスによつた場合の所要時間四五分前後に比して幾分多くかかることになるが、それでも今後五五分前後で藤野中学校本校舎に通学できること、

なお、被申立人らが、本件生徒らのために準備しているバスは五二人乗り一台、五八人乗り一台であることが一応認められ、また、本件疎明資料によると、スクールバス以外にも本件生徒らの通学手段として使用できるものとして、神奈川中央交通バスが、藤野から東野まで一日八・五往復、藤野から奥牧野まで一日往路五回、復路七回、藤野から篠原まで一日三・五往復、奥牧野から篠原まで一日一・五往復しており、前記スクールバスに右路線バスを併用して使用することも可能であることが一応認められる。

(二) もつとも、義務教育諸学校施設費国庫負担法施行令三条一項二号によると、適正規模の学校の通学距離については、原則としておおむね六キロメートル以内とされており、これは徒歩による通学とか、地域社会とのつながりを考慮したものと解されるところ、本件生徒らの自宅から藤野中学校本校舎までの距離は、別表5のとおり、六キロメートルを越えるものが殆んどであること前記認定のとおりである。

しかし、同令三条三項には、統合後の学校の通学距離が同令三条一項二号に掲げる条件に適合しない場合においても、文部大臣が教育効果、交通の便その他の事情を考慮して適当と認めるときは、当該通学距離は一項二号に掲げる条件に適合するものとみなして補助金等を決定、交付することが定められているが、前記条例による牧野中学校の廃止並びに藤野中学校への統合についても、文部大臣はその統合を適当と認めて国庫補助金を交付しているのであつて、このように右六キロメートルの通学距離はあくまでも一つの基準であつて、これを越えることが、直ちに本件生徒らに回復の困難な損害を与えるものとすることはできない。

(三) ところで、本件就学通知処分によつて、本件生徒らが、藤野中学校本校舎に通学することとなつた場合、従前牧野校舎に通学していたことに比して距離的に見て通学上不便になつたことはいなめない事実であるが、本件生徒ら及びその保護者である申立人らにとつて回復の困難な損害が生ずるか否かは前述のとおり、教育の目的、教育の効果等、いわゆる教育的観点から比較考量して総合的に判断し、本件就学通知処分によつて本件生徒らをめぐる教育環境の低劣化がもたらされるか否かにかかつているので、以下この点について検討する。

(1) 本件疎明資料によれば、牧野校舎は、昭和二三年に建築された木造の管理・教室棟及び昭和二七年に建築された木造の教室棟(二階建)の各一棟からなる老朽校舎であつて、昭和五三年度の牧野校舎に就学している生徒数八八名に対する教職員数は九名(いわゆる許可免教員五〇パーセント)、生徒予定数は昭和五四年四月現在で約六八名(本件生徒ら。なお、昭和五四年度の牧野地区の学令生徒数は八八名である。)、三クラス、普通教室七、家庭科教室一、理科教室一、技術教室一、図書室一で、いわゆる小規模校であり、中学校としては人的、物的設備が余り十分でないこと、これに対し、藤野中学校本校舎は、鉄筋コンクリート造三階建一棟及び二階建一棟並びに屋内体育館、プール等の施設からなつており、普通教室一二、特別教室九があり、統合がなされた場合は生徒数は約四〇〇名となり、これにともない教職員数は少なくとも二二名以上、いわゆる許可免も一〇パーセント程度となり、かなり適正規模に近い教育の場が確保でき、よりよい施設、設備のもとで教育を受けることができることが一応認められる。

(2) ところで、牧野校舎は、前項のとおり典型的な小規模校であるところ、小規模校には教職員と児童生徒との人間のふれあい、個別指導の徹底、家庭との密接な関係の保持等種々の利点があることは認められるものの、本件生徒らが藤野中学校本校舎に通学することになつた場合における学校規模の適正化による学校経費の効率化と、これにともなう人的、物的施設、設備の充実、並びに本件生徒らがより多数の生徒との接触のもとに切磋琢磨して勉学でき広い社会性を養成することができる等の利点も決して看過できるものではない。

(3) 以上によれば、本件就学通知処分により本件生徒らの通学距離が六キロメートルを越え、徒歩による登下校が困難となり通学上幾分、不便になることがあるとしても、被申立人の準備するスクールバスまたは路線バスを利用すれば、通学に要する時間は、多少、延長される者もあるが、むしろ時間的に改善される者も多数あり、小学児童と異り心身ともに、かなり成熟している本件生徒らにとつては、バスによる通学もさほど精神的、肉体的負担となるとは考えられないところ、前記のように藤野中学校本校舎において教育を受けることの方が、人的にも物的にも施設、設備の充実がはかられることによつて本件生徒らにとつて質の濃密な教育を受け、また、より多くの校友との交りを通じて教育効果をあげることができる所以であることが容易に窺え、本件生徒らの教育環境は改善こそされ、決して劣悪化されるものではないから、前記通学の不便性、困難性が本件生徒ら及びその保護者である申立人らの教育を受ける権利ないし教育権を侵すことになり、これが申立人らに回復困難な損害を与えることになるとは到底考えられない。

3(一)  その他申立人らは部活動を行なわない生徒についてはスクールバスの通学は長時間の待合せ時間があつて教育上、学習上のマイナスが著しいとか、生徒に急病等緊急事態の生じた場合、保護者において迅速な処置をとりえないおそれがあるとか、PTAの活動を著しく阻害する等と主張するが、待合せに長時間を要するときは路線バスを利用することもできないものではないし、分別のつかない小学児童と異り本件生徒らは、時間の余裕があれば自主的に勉学もできる年令であり、生徒に急病等緊急事態が生じた場合には、申立人らとの電話連絡も可能であり、自家用車の普及した現在、申立人らが藤野中学に急ぎかけつけることがさほど困難とは思われない。PTA活動も申立人らに積極的に参加しようとする意欲さえあれば、交通機関が全くないわけではないのであるから、これが不可能だとは到底考えられない。

(二)  また申立人らは冬期には積雪によるバスの通行不能による休校を生ずると主張するが、雪害によるバス通行不能は数年間に二、三回という程度の頻度で起つているに過ぎず、かような場合は藤野中学全校が休校となるのであつて、特に本件生徒ら及び申立人らにとつて著しい不利益となるものではない。

(三)  さらに、申立人らはスクールバスの運行が町の財政を困難にし、藤野町が右費用の負担に耐え得ず、いつ藤野町が財政上の理由から右運行計画を廃止するかも知れないとの不安にさらされている等と主張するが、これを認めるに足りる疎明はない。

(四)  以上申立人らのあげるいずれの支障も、本件就学通知処分による回復の困難な損害にあたるとは考えられない。

4  次に、申立人らは本件就学通知処分により、牧野校舎の教職員が他の学校等に配置替され、あるいは町立中学校全体の教職員の数が減ぜられ、また牧野校舎その他の教育財産の売却、管理替等の処分がなされることにより回復の困難な損害を生ずる旨主張する。

しかしながら、本件疎明資料によると、町当局においては牧野校舎を目下のところ処分することを考えておらず、本案訴訟終了まで牧野校舎の取毀しをしないことは勿論、本件統合問題が完全に解決した場合にも社会教育施設として利用することを予定していることが一応認めらるから、申立人らが本案訴訟において勝訴すれば、牧野中学校の復活も可能であり、その意味においても回復の困難な損害があるとはいえない。

もつとも、中学校の統合廃止により町立中学校全体の教職員の数が減ぜられることになることは本件疎明資料により認められるところであるが、右は法律に従い適正配置がなされるからであつて、本案訴訟において申立人らが勝訴して牧野中学校が復活されれば、それに応じて教職員も適正に配置されること疑いの余地がないから、これをもつて教育を受ける権利を侵害するものとはいえない。

5  また、本件疎明資料によると、本件就学通知処分による実質的統合について一部の牧野地区住民の根強い反対があることが認められ、かかる場合に統合を遂行することは、いたずらに紛争を激しくし、昭和四八年九月二七日付文部省初等中等教育局長及び文部省管理局長の「公立小・中学校の統合について」の通達にいう統合・廃止を行うについては地域住民との間に紛争を生じたりしないようにすべきであるという趣旨には反するようであるが、本件就学通知による実質的統合は、前記一2認定の本件申立に至るまでの経緯に見られるとおり、長年にわたり統合派住民と反対派住民とが互いに幾度も民主的に話合つたうえ、さらに中立の第三者機関の意見も徴して到達した選択であり、統合を見送ることもまた他の地域住民との間でしこりを残すことになるのであつて、地域住民の対立、反目は、極めて政治的色彩の濃厚な住民感情に根ざすものであるから、互いにその子女の幸福な成長(教育権の究極の目標)を最優先して理性をもつて対処すれば、おのずと解決されるべき性質のものである。

本件就学通知処分による実質的な中学校の統合がなされると、申立人らの子女が藤野中学校に通学を拒否したまま、自主授業への道を歩むことになるおそれもあり、賛成、反対両派住民の紛争は深刻化し、子女に与える不利益は回復困難なものとなる旨申立人らは主張するが、もし申立人らの影響により本件生徒らが集団による登校拒否等の実力行使によつて本件就学通知処分に対抗するような事態に立ち至ることがあるとすれば、それによる損害はもはや本件就学通知処分と相当因果関係あるものとはいえず、そもそも教育権ないし教育を受ける権利の侵害排除を希求して本件申立に及んだ申立人らの意図にもとることが明らかで、自ら右権利を放棄するものというのほかはない。

そうすると、藤野町住民間の中学校統廃合をめぐる紛争のごときは本件就学通知処分による申立人ら及び本件生徒らの教育権ないし教育を受ける権利につき回復困難な損害とは到底いい得ない。

6  その他申立人らは種々の理由をあげて、回復困難な損害があると主張するが、いずれもこれを認めるに足りる疎明はない。

三  以上説示のとおり、本件就学通知処分により、申立人らが回復の困難な損害を蒙ることにつき結局疎明がないことになるから、本件申立は、その余の判断をするまでもなく理由がない。

よつて、申立人らの本件申立をいずれも却下することとし、申立費用の負担について行政事件訴訟法第七条、民事訴訟法第八九条、第九三条を適用して主文のとおり決定する。

(裁判官 小川正澄 三宅純一 桐ケ谷敬三)

別紙一

申立の趣旨

被申立人が昭和五四年一月三一日申立人ら(ただし、山崎洋子を除く)及び申立外山崎好光に対してなした別表1目録各申立人らと同一番号欄の学令生徒欄記載の生徒の就学する学校を藤野町立藤野中学校とする就学指定処分の効力は本案判決の確定するまで停止する。

との裁判を求める。

申立の理由

第一(訴の提起)

申立人らは、被申立人を被告として昭和五四年二月三日、横浜地方裁判所に対し、就学指定処分無効確認請求訴訟を提起し、右事件は、昭和五四年(行ウ)第二号事件として、御庁に係属している。

第二(就学指定処分の存在)

申立人らは、いずれも藤野町、牧野地区に居住し、かつ、昭和五四年四月学校教育法第三九条の定める学令生徒に達する、別表1目録記載各申立人欄と同一番号欄の学令生徒欄記載の生徒(以下「各生徒」という)の保護者であるが、被申立人ら(ただし、山崎洋子を除く)及び申立外山崎好光に対し昭和五四年一月三一日付をもつて、各生徒の就学する中学校を藤野町立藤野中学校とする旨の就学指定処分をした。

第三(右処分の無効)

右処分は、藤野町議会が昭和四六年三月二二日可決、同日公布、同年九月一日施行された藤野町条例第一一号を根拠とするものであり、右条例は、昭和四三年六月二七日同町条例第一九号、「藤野町立小学校および中学校の設置に関する条例」(以下「設置条例」という)に記載されていた牧野中学校及び佐野川中学校の項を削除して同校を廃止したものである(以下右条例第一一号を「本件条例」という。)

しかしながら、本件条例は左の事由により無効であり、本件条例を根拠とする本件就学指定処分も無効である。

一 本件条例の実体上の無効事由

憲法第二六条、教育基本法第三条、第四条はすべての国民に対し、等しく教育を受ける権利を保障し、これを実効あらしめるため学校教育法第二二条、第三九条は保護者に対しその保護する子女を小学校、中学校等、義務教育諸学校へ就学させるべく義務づけ、これに対応して地方自治法第二条第三項第五号、学校教育法第二条、第四〇条は市町村に対し小学校、中学校等を設置する義務を課している。

しかるに本件条例は右各法令に違反し、実質的に各生徒から教育を受ける権利を奪うものである。

すなわち、

1 (通学の著しい困難について)

本件条例の実施により各生徒は中学校に通学することが著しく困難となる。

(一) 津久井郡藤野町は昭和三〇年吉野町、牧野村、佐野川村等七か町村が合併したものであるが、県北部に位置し、北方を東京都西多摩郡檜原村に、西方を山梨県北都留郡上野原町に接する面積六二・七四平方キロメートルに及ぶ県境の山間の町であり、地形は南北に長く、申立人らの居住する旧牧野村地区(以下「牧野地区」という)は南端にある。

(二) 藤野町の地区には、右町村合併当時義務教育施設として中学校が中央部の吉野地区に一校(藤野中学校)、南部の牧野地区に一校(牧野中学校)、北部の佐野川地区に一校(佐野川中学校)の計三校が設けられてきた。

また小学校は計一〇校であり、牧野地区には牧野、篠原、牧郷、菅井の四小学校があり、児童はこれらの小学校を卒業すると牧野中学校に就学した。

(三) ところが前記のとおり、本件条例により牧野、佐野川両中学校は廃止され、藤野町に残る中学校は藤野中学校一校のみとなり、牧野地区の生徒は藤野中学校に通学せざるを得ないこととなるが、同地区各部落より同中学校への通学距離は別表1目録のとおり、近くて四・七キロメートル、大半が六キロ以上十数キロメートルに達することとなる(通学距離が六キロメートル以下の場合もあるが、事案の性質上個々の生徒について個別的に本件条例の有効無効を判断すべきものではなく生徒を観察して一部でも著しい通学困難者があれば、合一的に無効と判断されるべきである)。

しかも、右の通学距離は、本件の場合、交通不便な、冬期には積雪でバスも途絶することもある山間地の通学であることが考慮されねばならない。

なお、従前、牧野地区ではあるが、牧野中学校より最も遠い距離にあつた大川原部落(九・六キロメートル)及び牧馬部落(八・三キロメートル)の生徒は遠距離通学を回避するために隣の津久井町立青根中学校及び青野原中学校に委託して就学させていたのであるが、もし本件条例が実施されれば、牧野中学校に通学していた部落の半数以上が右大川原、牧馬両部落から牧野中学校への通学距離を超える通学を強いられることとなるのである。

(四) なお、被申立人は、バスを利用することにより通学は可能である旨主張しているが、牧野地区を通行する路線バス(神奈川中央交通バス)の整備は山間地のため極めて不充分で、生徒宅からバス停までの距離が遠距離の者も多く、道路状況から使用されているバスも小型バスで、かつ便数も少く、バス通学が発育期の子女に与える精神的、身体的影響及び教育活動に与える影響は甚大である。これを運行状況に即して具体的に述べると、昭和四九年四月当時の神奈中バス運行時刻表は別表2のとおりである(本件条例制定時もほぼ同じ)が、

(1) 東野線のバスを利用する伏黒田部落の生徒の場合を例にとると自宅から約四〇分歩いて菅井に出てそこからバスにのる。バスは六時二一分、七時二六分、八時二四分とあるが、八時二四分では藤野駅着が八時五三分、そこから学校まで徒歩一〇分であるから始業時刻に合わない。六時二一分に乗るには家を五時四〇分に出なければならないうえ、学校到着が七時で早すぎる。結局六時四〇分頃家を出て、七時二六分のバスに乗り、七時五五分藤野駅着、そこから一〇分歩いて八時五分頃学校到着という便しか利用できない。しかもこの便は通勤時間とかち合い、満員で積み残しのおそれがある。

下校時はどうか。午後の授業が三時半ごろ終るとして利用できるバスは一五時五〇分藤野駅発があり、これに乗れば一六時一九分菅井に着き四〇分歩いて一七時ごろは帰宅する。しかし、これに乗れない場合は次のバスは一七時四〇分発であり、菅井に一八時九分着暗い山間の道を徒歩四〇分で一八時五〇分ころ帰宅ということになる。

義務教育において、毎日の登下校に女子中学生を含めてこのような通学を強いることが、果して教育をうける権利の侵害といえないであろうか。

(2) 奥牧野線を利用する生徒も状況はさして変りはない。奥牧野部落の生徒は学校が八時半ころ始まるとして、利用できるバスは七時七分と七時三三分しかない。七時七分に乗ると七時三三分に藤野駅に着き七時四三分には学校に到着する。これは早すぎるし、中学生が教師の監督の行き届かない状態で毎朝早くから学校に来ているという状況は教育上好ましくない。結局利用できるのは、七時三三分発で、これに乗ると七時五九分藤野駅着、八時一〇分ころ学校到着となる。しかしこれも、やはり次のバスが九時五分までないため通勤者で混雑し積み残しのおそれもある。

下校時はどうか。藤原駅発一五時四〇分があるが、一五時半まで授業をやつた場合、これに間に合うことは難かしい。これに乗れなければ一七時四〇分まで待たねばならない。これに乗ると一八時八分に奥牧野に着く。すでにこの時刻は山村の道は暗い。授業が終つてバスを待つ二時間、中学生が教師の監督もなしに過ごし、毎日暗い夜道を帰宅する。教育上の配慮があれば、到底このような通学手段で遠距離通学の違法性を免れうるとは考えられないだろう。

さらに、土曜日のように半日授業の場合を考えると、東野線では一四時四五分まで午後は藤野駅を出発するバスがないし、奥牧野線では一五時四〇分まで午後のバスはない。

(五) およそ本項冒頭掲記の憲法第二六条以下諸法令及び教育基本法第一〇条二項、学校教育法第二九条の趣旨によれば、市町村は義務教育施設(小、中学校)を規模や通学距離を考慮して適正に配置する義務があるのであつて、どこにでも設置すればよいというものではないのはいうを待たず、また物理的に通学が可能であればよいというものではなく、義務教育は適令期の全子女に課せられたものであるから通学距離は男子も女子も、体力の強い者も弱い者も、健全者も身体障害者もすべての子女が差別なく就学できる様配慮されなければならない。更に一般授業の外、クラブ活動、補習授業の利益を平等に享受できる様にも配慮されるべきである。

この点に関し、義務教育諸学校施設費国庫負担法施行令第三条第一項第二号が統廃合の場合の学校の適正配置についての通学距離の基準として、小学校おおむね四キロメートル、中学校おおむね六キロメートル以内という数値を掲げているのは、義務教育施設としての中学校の通学距離について国が示した唯一の法令上の基準であつて、これにより中学校については六キロメートルを通学距離の限度とし、統廃合により右限度を超えることを回避しているものであり、前記本項冒頭諸法令につき適正な通学距離を判断する場合の基準となるべきものである。

(六) しかるに右(一)ないし(四)の事実は、前記諸法令に違反し、生徒に著しく困難な通学を強い実質的にその就学権を侵害していることが明らかであり、その違法は重大かつ明白である。

2 (牧野中学校廃止についての合理性の欠如について)

被申立人が自らの統合推進の基本的な考え方として自認し、本件条例制定の最大の根拠としてきたのは昭和三一年一一月五日付文部次官通達「公立小、中学校の統合方策について」である。右通達は、小規模校では、一般に教員の適正な配置や施設設備の充実を図ることがむずかしく教育効果の向上を図ることが困難で学校経費も割高となつているので地方の実情に即しかつ中央教育審議会の答申を参考としつつ統合の推進を図られたというものである。

ところが、牧野中学校は右通達によつても決して廃止されねばならぬ程の「小規模校」ではないのである。すなわち牧野中学校の本件条例定時の昭和四六年度の生徒数は一五二名であり、一方昭和五三年度における神奈川県下小規模校の生徒は別表3のとおりであり、これらの中学校は現に存続しているのであるから、昭和四六年当時小規模校として牧野中学校を廃止するのに全く合理的な理由はなかつたのであり、廃止の真の目的は後記のとおり別にあつたのである。

右の合理性の欠如は生徒数、学級数、及びそれらと教育効果の観点からも多々指摘できるが、ただ一点義務教育施設の統廃合は当然小、中学校を通じ一貫して論議すべき問題であり、現に藤野町においても本件条例制定前は、統廃合問題は、一〇か年計画等において小、中学校を通じて論議されてきたところであるのに、前記のとおり藤野町全体で一〇校、牧野地区のみで四校ある小学校の統廃合には全く手をつけず、突然中学校のみを一校にしてしまうという不自然さを指摘するのみで充分と思う。(なお、後述のとおり、右小学校一〇校は今日に至るまで全校存続し、一部は鉄筋コンクリートに改築され、廃校の計画はない)。

町当局が右のとおり全く合理的理由を欠くのに敢て強引に中学校のみの統合に踏切つたのは、統合に名を借りて国庫補助金を受給し(統合名目なら単なる改築よりも多額の国庫補助金を受けることができた(前者の国庫負担率は経費の二分一、後者は三分の一、ー義務教育諸学校施設費国負担法第三条))存続させる藤野中学校の施設改善を行うためだつたのである(しかも被申立人は、三中学校の対等な統廃合を行い新たに中学校を設置するという名目で補助金を申請しながら、事実は藤野中学校が他二校を吸収するという統廃合を行つたものである)。

右のごとき意図に出た本件条例は、合理的理由なく申立人ら牧野地区生徒及び住民を差別するもので、憲法第一四条に違反し、かつ、この点でも同法第二六条に違反し、かつ、その違反は重大かつ明白であるから、本件条例は無効である。

3 (本件条例議決後の事実の変遷について)

(一) 昭和四六年三月二二日本件条例が議決され、同月二三日公布された後、右条例に基づく牧野中学校の廃止に反対する牧野地区の住民高崎英外六名(いずれも同中学校に通学し、或は将来通学する生徒を有する者)は相手方外二名を被告として行政処分無効確認等請求事件訴訟を御庁に提起し(昭和四六年(行ウ)第一九号)、更に同年八月一一日、右条例の効力停止を求める行政処分執行停止の申立をした(昭和四六年(行ク)第一〇号―その後取下)。

(二) 一方、藤野町教育委員会は同月二〇日に至り、漸く統合校舎完成まで従来の牧野、佐野川両中学校校舎を藤野中学校牧野、佐野川両校舎として存置する旨決定し、更に同二三日、右両校生徒の父兄に対し従来どおり右両校舎に通学すべき旨の就学指定通知をなした。

(三) 昭和四七年度は昭和四六年度と同様な就学指定がなされ、牧野、佐野川地区生徒は従前どおり牧野、佐野川校舎に通学した。

(四) 昭和四七年六月藤野中学校のいわゆる統合校舎が完成したが、同四八年度四月の就学に当つては、町及び教育委員会において、牧野、佐野川両地区の生徒については、一応就学指定する学校を「藤野中学校」とするが、保護者より「藤野中学校牧野校舎」「藤野中学校佐野川校舎」に就学指定変更の申立をすることを認め、右申立があつた場合はこれを認める取扱とした。

(五) 同年一〇月二日に至り、小、中学校統廃合問題について極めて重要な「公立小、中学校の統合について」と題する文部次官通達(いわゆる新通達)が出された。

右通達は前記昭和三一年一一月五日付通達(旧通達)の実施について留意を求めるという形で、実質上は旧通達に反省を示したものであり、学校規模を重視する余り、地域住民等の間に紛争を生じたり、通学上著しい困難を生じたりすることを避け、教職員と児童生徒との人間的なふれ合い等小規模校の教育上の利点を考慮する様求め、かつ、通学距離及び通学時間については児童生徒の安全、教育活動の実施への影響について慎重な配慮を求めたものである。

(六) その後、前記昭和四八年度の牧野、佐野川地区生徒の両校舎への通学を認める取扱いは今日(昭和五三年度)まで継続され、本件条例が議決、公布及び施行された昭和四六年よりすれば実に七年間の長きにわたりいわゆる実質統合(牧野、佐野川校舎の廃止)は行われないまま、今日に至つたのである。

その間牧野校舎は校長に代り教頭を置く外は教職員の配置、編成、諸設備の配分、対外競技の参加等すべての点において独立校としての取扱いを受け、牧野地区生徒総数の内実に七〇%以上が牧野校舎に通学して今日に至つているのであり、藤野中学校への進学を選んだ者は僅か三〇%以下に過ぎない。

(七) 右の間、前記のとおり、本来中学校統合と関連して行うべき小学校一〇校の統廃合は全く行われず、かえつて牧野、日蓮、吉野の各小学校は木造校舎より鉄筋校舎に改築され、篠原小学校(児童数二九名)も現に鉄筋校舎に改築中であり、現に統廃合の計画はない。

(八) 更に牧野地区の住民中、実に七〇%に当る者が今日でも牧野中学校の存置を熱望しているのである。

(九) 以上本件条例制定後の事実の変遷を前提として考えるとき、今後本件条例に基づきいわゆる実質統合を実施する行政行為をなすことは、前記1冒頭掲記の憲法第二六条以下の諸法令に違反するものであり、かつ、その違反は重大かつ明白で、この点よりしても本件条例は無効である。

二 本件条例の手続的違法を理由とする無効事由

本件条例の制定については、先ず制定の前年である昭和四六年一〇月「藤野町中学校統合推進協議会」(以下「推進協」という)が始めより統合推進の目的を持つ当時の山下茂市町長により設置され、委員には町長が自ら適任とする者(多くは統合賛成派)をPTA代表、地域代表、婦人代表等として任命した外、町議会議員全員、教育委員全員を任命した。

右推進協の性格について、被申立人は前記条例無効確認訴訟における原告の求釈明に対し「町長の任意の諮問機関」であると釈明しているが、地方自治法第一三八条の四第三項によれば、地方公共団体は「法律または条例の定めるところにより」執行機関の附属機関として諮問のための機関を置くことができると定められており、それ以外に諮問機関を置くことはできないのである。従つて右推進協は法律または条例に根拠を持たない違法な機関である。

しかもその委員の構成は前記のとおり町長が自ら適任とする多くは統合賛成派の住民をPTA代表等として任命した点で極めて偏頗であつたばかりでなく、本来、議決機関と執行機関の分立の原則及び教育の政治的中立性の原則よりして町長から独立してその権能を行使すべき町議会議員全員及び教育委員全員を町長の諮問機関に取り込むという地方自治の原則を全く無視したものであつたのである。そして右のごとき違法な諮問機関において多数決により少数の統合反対派の主張を圧殺して、翌昭和四六年三月二二日本件条例と同趣旨の推進協答申を得るや、直ちに同日の町議会に本件条例案を提案、可決させ、即日公布したものである。つまり、町議会の議決は右推進協答申を追認する単なる形式的なものに過ぎなかつたのである。

右のごとき本件条例の制定手続は、憲法第九二条、第九三条、地方自治法第一条に違反する無効なものであり、その違反は重大かつ明白である。

第四(本件処分により生ずる回復困難な損害の発生及びこれを避けるための緊急の必要性)

一 牧野中学校には現在一年生及び二年生が四九名通学しており、これらの生徒は、本年四月より二年生及び三年生として通学予定であり、かつ、本年四月同校に入学希望の児童は一九名である。

二 牧野地区の生徒に対しては前記第二、一、(六)記載のとおり、本件条例制定後も実に七年の長きにわたり独立校と変らない牧野校舎への就学が認められてきた。

三 若し、本件就学指定処分が強行されるなら、統合問題が最終的に解決に至るまでは少くとも前記従前の七年間にわたる取扱が継続されると信頼してきた生徒及びその保護者から、一挙に自分達の中学校である牧野校舎を奪い、これを消失せしめ、生徒及び児童に前記のごとき通学上の不便を強いることとなるのであり、これによる就学上の不利益及び精神的苦痛は図り難く、その損害は、回復困難というべきであり、かつ右損害を回避する緊急の必要性がある。

四 また、現在牧野校舎には、教頭以下養護教員一名を含め九名の教職員が在職しているが、本件処分により、これらの教職員が他の学校等に配置替され、あるいは町立中学校全体の教職員の数が減ぜられ、また牧野校舎その他の教育財産の売却、管理替等の処分がなされるならば、これらの損害は将来本訴において申立人らが勝訴しても回復し難いものであり、これを回避する緊急の必要性がある。

第五(公共の福祉との関係)

前記のごとく本件条例が昭和四六年三月議決、公布、同年九月施行されてからも、同四七年藤野中学校の改築工事が完成した外は、右条例実施のための行政行為は殆んど行われず、かえつて、前記新通達に象徴される社会状勢の変遷と共に牧野地域子女の牧野校舎への通学は定着している。

町当局が統廃合に関し既に支出した金員は、右藤野中学校の改築等に有効に使用済であり、それ以外に支出中途で中断により損害を蒙る支出はなく、被申立人が主張する統合不実施の場合の国庫補助金四、七〇〇万円の返還も現実に返還を命じられているわけではなく、右藤野中学校の改築工事に使用されている事情ならびに前記のとおり義務教育施設費国庫負担法により危険校舎の改築にも国庫補助が行われることを考慮すれば、返還を命ぜられるか否かもその額も不明であり、かえつて国においても充分配慮される余地がある見込である。

従つて、本件執行停止により公共の福祉に重大な影響を及ぼすおそれは全くない。

第六(結論)

よつて、前記のとおり無効な本件条例を前提とするため同様に無効を免れない本件就学指定処分の効力の停止を本案判決の確定に至るまで停止することを求め本申立に及ぶ次第である。

別紙二

(申立の理由補充書)

申立人ら主張の通学の困難性の点について、被申立人はその計画に係るスクールバスの運行により右困難性は解消する旨主張するが、右主張は次のとおり理由がない。

1 右計画によれば、スクールバスは牧野地区各部落につき夏期、冬期共、往路、復路各一便に過ぎない。これに依存するとすれば左のとおり多くの不都合が生ずる。

(一) すなわち、夏期の復路についていえば、右計画では終業時刻一五時一五分、部活動終了一七時三〇分、復路バス藤野中出発一八時とされているが、部活動は生徒全員につき毎日行われるのではなく、当日は部活動の行わない生徒も多数存在する(例えば屋外運動場で野球部の部活動が行われるときは、他の屋外での部活動は行われず、また雨、雪の場合は屋外の部活動は行えない)。これらの当日部活動の行えない牧野地区の生徒は終業後実に二時間四五分の間スクールバスの出発を待たねばならず、教育上、学習上のマイナスは著しい。

冬期においては右時間は若干短縮されるが、なお、スクールバス出発まで一時間一〇分を待たねばならない。

(二) 右計画において牧野地区に運行されるとするマイクロバス二台では、その収容能力からして牧野地区の生徒全員(五三年度において一一四名)を収容できるかどうか甚だ疑問である。

(三) 生徒に急病等緊急事態の生じた場合、保護者において迅速適確な処置をとり得ないおそれを生ずる。

(四) PTA活動を著しく阻害し、むしろ、これを不能ならしめる結果を生ずる。

2 牧野地区の従前の例から見ても冬期には積雪によるバスの通行不能による休校を生ずるおそれが多大である。

3 後述の予備のバス整備の必要とも関連するが、バスに故障が生じた場合は通学不能となる。

4 右計画は、予備の車輛、人員を全く考慮していないが、実際にはこれに対する配慮なしに右計画の実行は困難のはずである。

そして、少くとも予備車輛一台、予備運転手一名を確保するとすれば、牧野、佐野川両地区にバス四台、運転手四名を必要とすることになるが、町財政としては長期間にわたり右費用の負担に耐えることはおそらく困難と思われる。

5 右4の指摘と関連し、右計画においては右計画の継続的実行についての保障は全く示されておらず、牧野地区住民としては、何時、町当局が財政上の事情を理由として右計画を廃止、縮小するかも知れないとの不安にさらされることとなる(現に牧野地区と隣接する山梨県上野原地区においてはスクールバスの運行は三年で打切られている)。

6 更に昭和四六年三月二二日当時の本件中学校統廃合条例議決当時は、スクールバス運行についてはその具体的な整備は勿論、具体的な運行計画の提示すら、全く行われていなかつたのであるから、七年を経過した今日に至り、統廃合強行を直前にして右計画を提示したからといつて、到底右条例を正当化するものではない。

別紙三(申立の理由補充書)

一 申立人らが申立書の申立の理由第三、一、(5)において指摘したとおり、義務教育諸学校施設費国庫負担法施行令第三条一項二号が統廃合の場合の通学距離の基準としておおむね六キロメートルという距離を掲げているのは、義務教育が適令期の全子女に課せられたものであることに鑑み、

(1) 男子も女子も、体力の強い者も弱い者も、健全者も身体障害者も、すべての子女が差別なく通学できる。

(2) 一般授業の外、クラブ活動、補助授業の利益を平等に享受できる様にする。

(3) 生徒個々の勉学時間も差別なく得られる様にする。

(4) 生徒に急病等緊急事態の生じた場合、保護者において迅速適確な処置をとり得る様にする。

(5) PTA活動にも阻害なき様にする。

(6) 地域により積雪等による休校を避ける様にする。

(7) 地域住民の財政的負担を過大ならしめない。

等を周到に配慮し、生徒に対する教育的見地に立つて、過去の経験に鑑み、中学生においては徒歩通学を原則とし、その限度として六キロメートルの基準を示したものである。

既ち、右基準が定められるに至つた経緯は、スクールバスにより通学可能ならそれでよいではないか等という被申立人ら一部地方公共団体の教育行政担当者の短絡的思考とはおよそ無縁のものであつたはずである。

二 教職員の配置状況について

教職員の配置状況(意見書第五、五)について、被申立人は三学級の場合は配当教員数は五名に過ぎないとし、その根拠として「公立義務諸学校の学級編成および教職員定数の標準に関する法律」を挙げる。しかし、同法にはその様な規定は見当らない。

既ち、同法において小中学校教職員定数の標準を定めているのは第六条ないし第九条であるが、ここに定められているのは各都道府県ごとの教職員の総数であり、ただその算出要素の一として同法第七条二項に各学校の学級数に一定の係数を乗じた額が挙げられているに過ぎない。しかも同条項によれば三学級の場合は教職員数は六名(養護教員は別に同法八条で定められる)となり、更に都道府県全体としては右の各学級毎の数の合計の外、六学級以上の小中学校の数、三学級、四学級の小中学校の数等を算出要素として算出した数を加算した数が教職員総数となるのであるから、三学級校の場合でも右の六名のみの配置とはならないはずであり、現に、現在の神奈川県下の三学級校の教職員数は、牧野、佐野川両中学校(いわゆる牧野、佐野川校舎)が各九名、その他の三学級校が一一名ないし一二名である。従つて、被申立人の主張は、全く事実に反する。

更に被申立人のいういわゆる許可免(免許以外の教科を教える教員)については、被申立人が適正規模という一二学級が達成さされても許可免がなくなるはずがないのであり、現に一〇学級の藤野中学校が二名、一二学級の中野中学校が六名の許可免を置いていることから明らかである。

ちなみに文部省が理想とする一八学級(教職員数三二名)以下の学校においては、教師の担当時数、校務分掌、時間表作成を理想に近づけるため余儀なく許可免担当を行つているのが実情である。

のみならず、免許教科といえども、例えば社会科、理科についていえば法律を専攻した者が日本史、地理の分野を担当する社会科免許状を有し、電気を専攻した者が生物、地学の分野を担当する理科免許状を有しているのであり、本来厳密には専門教科担当とはいいがたいのである。

また、中学校では、特に生徒の個性、能力に応じた指導を必要とされるのに、八ないし一〇学級程度の学級の中学校(生徒数二五〇ないし三〇〇名)では、美術、音楽、体育、技術、家庭科の全学年を主として一人の教師が担当することとなり、時間表も機械的に当該教科担当教師の側から組まれるため、例えば午前中に体育、技術、家庭、音楽等が多く組み込まれる等、生徒の学習にとつては極めて都合の悪い組合わせが起り易く、かえつて学力低下となる危険性をもつが、三学級の小規模校では生徒のうけやすい時間表編成が可能で、右の弊害を避けることができる。

更に、一人の専科教師が同一教科を多学級にわたつて担当する場合は、教材の準備、研究に時間を取ることが難しく、かつ、教師の勤務の様態(出張、年休、学校行事等)によつて各学級の進度にアンバランスが生じ、そのため年間実施基準時間を大幅に下廻る事態さえあり得るが、三学級では比較的時間の差繰りがつき、この様な事態も避けることができる。

三 本件処分により生ずる回復困難な損害の発生についての補充

もし、本件処分により、申立人らの子女が本年四月以降、藤野中学校に通学を強いられることとなるなら、もし、将来本訴において申立人らが勝訴しても、その時間には子女の大部分は藤野中学校を卒業してしまい、右中学校に通学を強いられたことによる前記不利益を背負つたまま、心身に深い傷跡を残し、将来を歩まねばならぬこととなり、その損害は回復困難である。

また、もしかりに、申立人らの子女が藤野中学校に通学を拒否したまま自主授業等への道を歩むことになれば、教育内容の低下は著しく、かつ賛成、反対両派住民の紛争は深刻化し、これまた子女に与える不利益は回復困難なものとなる。

別紙 四

第一(別紙一の主張に対する被申立人の答弁)

一 申立の趣旨に対する答弁

申立人らの申立をいずれも却下する。

との裁判を求める。

二 申立の理由記載事実に対する認否

1 申立の理由第一及び第二記載の事実は認める。

2 同第三記載事実中前文の本件中学校統合に係る法的根拠(条例)の経緯は認めるが、本件条例が無効であり、またこれを根拠とする本件就学指定処分が無効であるとの主張は争う。

3 同第三の一(本件条例の実体上の無効事由)の1のうち、

(一) 本件統合により通学が著しく困難となり生徒の就学権を侵害しているとの申立人らの主張は否認する。

すなわち、申立人らの主張事実に対する認否及び被申立人の反論は次のとおりである。

イ 右1の(一)(二)記載の藤野町の自然的条件及び学校の設置状況は認める。

ロ 同1の(三)記載事実中

本件統合により通学距離が相対的に伸びる地区が存することは認めるが、それは特に従来旧牧野中学校に近接した地区にいえることであつて、交通機関(特にスクールバスの導入)等通学手段を考えるとほとんどの地区は従来より通学条件は改善されるものと思料される。そして、通学距離が長くなる地区でも徒歩に要する距離は、旧牧野中学校に通うのと、統合後の藤野中学校に通学するのとでは、短かくなることはあつても長くなることはほとんどない。最も徒歩距離が長い伏馬田部落でもせいぜい二、三キロメートルであり、中学校の生徒であることを考えると通学困難な距離であるということはほとんどありえない。けだし、同部落の生徒は旧牧野中学校へも同じ道を歩いて通学していたものであり、現在も同様の方法で牧野校舎に通学しており、特に問題はないものである。

ハ また、大川原及び牧馬部落については交通機関その他の事情で他町の中学校に委託しているのであつて、本件統合により通学距離が伸びるとしても、右両部落より通学条件(交通機関、所要時間等)が悪くなることは全くありえない。

ニ 同(四)記載事実中、路線バスの整備が山間地のため極めて不充分との申立人らの主張は争う。

運行時間こそ都会ほどに頻繁ではないにしても、牧野地区住民はこの路線バスを唯一の主要交通機関(もつとも最近は自家用車をもつ者が多いが)として生活しており、特にこのバスの整備が悪いとか、バス通学が中学生の精神及び身体ならびに教育活動に与える影響が甚大との主張は全く問題外である。

ホ 同(四)の(1)は、伏馬田部落について述べているが、この地区の生徒は従来からも旧牧野中学校までの距離が遠いため、昭和四〇年ころまでは津久井町立青野原中学校に委託していたが、その後牧中に通うようになつてからは自宅から徒歩で「菅井」バス停まで歩き、そこから路線バスに乗車して通学していたものであるが、今後は通学バスにより始業時刻と終業時刻に合わせ、生徒に負担がかからないよう配慮されており、スクールバスによる集団登校、下校の長所(山間の道でも中学生が集団で登下校するものであれば安全であろう)をも考えると、多少バス乗車時間が長くなつても(五~一〇分程度)、それで教育をうける権利が侵害されたということはできない。

ヘ 同(四)の(2)の奥牧野部落についても右と同様で、スクールバスを利用することにより、従来牧野校舎に通学する時間の半分以下で藤中に通うことができるようになる。同部落からバス乗車場までは最高でも四、五分で、現在も同部落から藤中に通学している者はスクールバスを利用して通つており、特に雨の日などは統合反対の家庭の生徒らが(牧野校舎に徒歩で六〇~七〇分かかるが)バスで藤中に通学する生徒らをうらやましげにみている姿をみると子供らの本当の気持を考えて早く統合を完全に実施してやらなければと考えるのは、被申立人らだけなのであろうか。いや牧野地区のほとんどの住民は心の底では早く統合がなされることを期待しているのかも知れない。

なぜなら、本件中学校の統合の必要性を当初から強く主張したのは、牧野佐野川地区の人達であつたからである。

ト 同(五)の学校の適正配置に関する教育論はそのとおりであるが、小学校と中学校とでは、肉体的、精神的発達の度合が全く異なるし、通学距離についての通達も徒歩通学による場合の基準であることはすでに判例も傍論で認めており、さらに本件同様の学校(小学校であるが)統合処分執行停止が認められた富山県立山町の例でも、高裁決定では小学校の場合(特に低学年児童)にとつてはバス通学によるも一〇キロメートルは遠いから回復困難な損害と認定し統合が認められなかつた事案においても、現地では現在も一〇キロメートルから二〇キロメートル遠くからバスで小学校に通学しており、中学校では全て統合が完全に実施され通学距離も遠いところは三〇キロメートル程度にも及ぶとのことである。

チ そして、もともと藤野中学校区である名倉日向、沢井栃谷地区の生徒は、交通条件が悪いため、現在でも片道六キロメートル以上の山道を徒歩で一時間数十分を要して通学しており、交通条件の比較的よい牧野地区住民の一部が、通学条件を理由に統合を反対することは理解に苦しむところである。

(二) 同第三の一の2記載事実中、本件中学校の統合は合理性が欠如しているとの申立人らの主張は全て争う。

本件中学校統合の必要性及び適正かつ適法な手続により統合がなされたものであることは、意見書で述べたとおりである。

なお、小学校が未だ統合されない理由は本件と関係はなく、また一部小学校が鉄筋コンクリートに改築されたとの点は危険校舎の認定がなされたための改築であり、統合とは全く関係ない。

また本件は実質的には三校の統合であつて、学校の敷地、交通機関その他の条件を考えて、従来の藤野中学校及びその隣接地にたまたま統合中学校が設置されたにすぎない。また校名も、藤野町の唯一の中学校であるから「藤野中学校」と従来の呼称と一致するからといつて、とりわけて牧野地区の生徒、住民を差別するものでないことはいうまでもない。

(三) 同第三の一の3記載事実中、本件条例議決後の経緯は、意見書記載のとおりで、これに反する申立人らの主張は全て争う。

ただ、特に強調しておきたいのは、現在まで統合を決定しておきながら変則的に従前の校舎に通学を認めていたのは、統合反対の人達の良識を期待し、あくまでも話合いで解決しようという教育的配慮に基づくもので、それも申立人らが一度は約束した県教委の調査団の報告に従う旨の最終的合意を反故にし、かつ裁判所の誠意ある和解のあつせんに対してもかたくなな態度をとる以上町の他の行政に及ぼす影響、学校教育上の諸問題を考えた場合、話合いができないまま実質的に統合せざるを得なくなつたことを残念に思う。

なお、同(八)記載の事実は、同署名が統合反対の一部の者によつて虚構の事実が語られ(例えば、「今度反対派の生徒も藤中に通学することになるが、この署名簿に印を押してもらわないとできないからとか、「ちよつと印を貸してくれ」といつて特に理由もいわずに押印するなど署名されたものであつて、その不真実性は半数以上が撤回したことからいつても明らかであろう。

4 同第三の二記載の事実は争う。

5 同第四記載の事実中、本件統合により回復困難な損害が発生し、これを避けるため緊急の必要性があるとの申立人らの主張は争う。

同第四の一中、在学生徒数は認め、その余は不知。同二、三は争う。

同四中、数職員の人事は県教委で適正に進められることであつて、本件統合の有無とは何ら関係はない。

また、牧野校舎その他の教育財産の売却、管理替等は現在のところ全く予定しておらず、統合が実施されたら将来議会、教育委員会等の審議をまつて、地区の社会教育施設等に使用する考えもある。

6 同第五記載の公共の福祉との関係についてはすべて争う。詳細は意見書及び疎明書類で述べたとおりである。

第二(別紙二の主張に対する被申立人の答弁)

(一) 同1記載の事実は全て争う。

(イ) 部活動を行なわない生徒は、現在でもスクールバスを待たず、東野線一五時五五分、奥牧野線一五時五〇分のそれぞれ藤野駅前発の路線バスを使用し帰宅しており、バス料金は全額町で負担している。また篠原地区は、一七時〇六分までバスがないので、右両線バスいずれかを利用し赤沢で下車(約一〇分)、あとは徒歩(二~三キロメートル)で帰宅している。

なお、雨天、学校行事等の場合は学校長の判断で、適宜スクールバスを運行している。

(ロ) スクールバスは、昭和五四年四月以降三台(五二人乗り二台、五八人乗り一台)で運行するため、収容能力は問題はない。

(ハ) 生徒に急病等が発生した場合は、牧野地区よりむしろ藤野中学校周辺の方が医療機関等も整備されており、より安全であり、また父兄との連絡等は電話で充分措置できるものである。

(ニ) PTA活動も、現在藤中に通学する牧野地区の父母も何の障害もなく活動しており問題はない。

(二) 同2の積雪による障害は、スクールバスを運行してから五年の間、昭和四九年二月二一日、同五四年一月三一日の二回運休したが、この時は藤野町の小中学校はバスとは関係なくほとんどが休校となつている。

(三) 同3のバスの故障は現在まで一回もなく、仮りにあつた場合は近くのレンタカーを借り上げするか、路線バスによるか臨機応変の方法をとる準備がなされている(それも五~一〇年に一回あるかどうかであろう)。

(四) 同4、5のバス運行等による財政負担は、教育の充実にくらべればわずかなものであり、将来にわたつて充分保証されるものである。

なお、申立人らの指摘する山梨県上野原地区の例は事実が異なり、スクールバスの運行をしたことはなく、バスの乗車賃を支給したことがあるにすぎないとのことである。

別紙五(被申立人の意見書)

意見の理由

第一中学校統合に至る経緯

一 藤野町における学校の整備、統合の話題は時代の趨勢として語られ、わが国の社会経済状態の推移と教育水準の向上につれて質及び量ともに充実した文化的教育を望む当町父兄の期待は大きく、昭和三〇年七月の町村合併を契機としてその声は次第に高まりつつあつた。合併当初は、道路、水道、産業等の設備、発展等種々の問題に追われ、学校問題についてはなかなか手がつけられないでいたが、次第に町行政も軌道にのり、特に国鉄藤野駅を中心として当町の各方面にバスの導入が図られ(東野線、奥牧野線、篠原線、和田線―以上神奈中バス、佐野川線―富士急バス)、交通施設が充実されたことによつて、通勤、通学が容易となつてきたこともあつて、教育施設の充実、整備の機運は次第に現実化の傾向を見せてきた。

二 昭和四一年一二月に至り、当町に「藤野町学校統合特別委員会」が設置され、町議会より正副議長、各常任委員長、民生文教常任委員、教育委員会より各教育委員(含教育長)、学識経験者として町立学校長会々長、町PTA連絡協議会々長の合計一七名(昭和四二年一二月には学区代表二名が追加され二〇名となつた)が委員に選任され、昭和四五年一〇月後述の「藤野町中学校統合推進協議会」が設置されるまでの約四年間、町立小中学校の整備、統合について種々の問題が討議され教育行政に反映されていつた。特に統合問題については、町村合併以前の各部落ごとに分散している小規模小中学校を統合し、小学校三校、中学校一校の適正規模にするのが妥当であるとの結論に達し、取りあえず中学校をまず統合し、次に小学校の統合を行うこととなつた。

三 しかして、当時藤野町には、藤野、牧野、佐野川の三中学校が存したが、いずれも校舎は老朽化し特別教室、屋内運動場等の施設が整備されておらず、また運動場も極めて手狭であつたため、統合するためには校地を取得し、校舎、体育館、プール等の建設をしなければならず、財政的な準備の必要性が認められ、昭和四二年一二月学校建築資金の積立が町議会の全員一致で可決され、「藤野町立学校建築基金の設置、管理及び処分に関する条例」が制定公布された。同条例に基づく積立金は、昭和四二年度一〇、〇〇〇、〇〇〇円、同四三年度一三、五三五、四五〇円、同四四年度二六、二九四、四四七円、同四五年度四一、〇〇〇、〇〇〇円と本件統合が行なわれた昭和四六年六月時点で合計九〇、八二九、八九七円の積立がなされた。

四 この間、昭和四四年九月町議会において藤野町(十か年)総合計画が議決され、同計画前期において中学校、同後期において小学校の各統合を実施することとなり、昭和四五年三月発行の町広報等で住民にその内容を周知した。

また同広報を通じ、町の教育費、学校統合についての町民の投稿、学校統合予算、統合推進協議会の設置、活動状況、答申等の詳細を報告し、中学校統合についての住民の理解と協力を要請した。

五 昭和四五年一〇月藤野町中学校の統合を円滑に推進するため、前述の学校統合特別委員会を発展的に解消して藤野町中学校統合推進協議会が設置され、町議会議員二二名、教育委員四名、学識経験者六名、婦人代表三名、学校長四名、PTA会長四名、町理事者四名の合計四七名の委員が選任された。

同協議会は、昭和四六年三月までの間に四回の全体会議及び小委員会数回を開催し、また中学校統合案の策定、各地区住民の意向を聴取し、さらに説明会及び懇談会を行なうなどして中学校統合の趣旨、必要性の説明に心を配つた。

六 また、同協議会は昭和四六年一月各部落長を通じて中学校統合の賛否及び意見を徴した結果、賛成一、四八二戸(八八%)、反対一五五戸(九%)、その他四八戸(三%)と賛成が多数を占めた。

同協議会は右各調査結果、要望、意見等について慎重に審議した結果、昭和四六年三月三日町長に対し、統合の可否(賛成三二名、反対三名)及び統合の時期(昭和四六年九月一日に賛成三一名、反対四名)について中間答申をした。

七 昭和四六年三月二二日同協議会は町長に対し、従前の三中学校を一校に統合し、藤野中学校とする、統合の時期は昭和四六年九月一日とする、統合中学校の設置場所を従前の藤野中学校跡及び隣接土地とすることとの答申を行なつた。なお、統合のための条件整備として、道路の整備及びバスの導入、通学費の補助等について附帯条件がつけられている。

以上のとおり、本件中学校の統合は藤野町住民の長期にわたる念願であり、各地区の住民の意見もよく聞き、また住民の代表者である町議会議員あるいは学識経験者等の慎重な審議を経て適正かつ公平に行なわれたものである。

第二中学校統合の法手続

本件中学校統合の法手続は、条例上は牧野中学校、佐野川中学校を廃止することとし、公立中学校の廃止に係る諸手続を次のとおり行なつた。

1 昭和四六年二月一七日中学校の廃止についての教育委員会の意思決定(地教行法二三条一号)を教育委員会全員の賛成で議決した。

2 右同日同教育委員会は町長に対し、藤野町立中学校の統合及び廃止並びに条例の改正について意見の申出(地教行法二九条)を行なつた。

3 同年三月二二日町議会において慎重審議の結果、議員全員一致で本件中学校の統合について賛意が表され、藤野町立小学校及び中学校の設置に関する条例の一部改正が可決された。

4 右改正条例は、同年同月二三日藤野町告示第七号をもつて公布された。

5 町教育委員会はこれに基づき、同年七月二四日学校廃止届出書(学校教育法八八条、同法施行令二五条)を、神奈川県教育委員会に提出した。

以上のとおり、本件中学校の統合に関する諸手続は適法に行われたものである。

第三本件中学校統合決定後に行なつた統合のための諸手続及び条件整備

一 まず、前記中学校統合推進協議会の答申の附帯条件について町の態度を明確にし、それぞれの条件について具体的施策を行なうことを約束し、現在までに、通学バス導入(スクールバス三台購入、二台運行中)、通学費支給(全面支給)、道路整備(県土木事務所と協議、次第に整備されつつある)、施設、設備の充実(統合校舎の新築、特別教室その他備品計器類の整備、屋内体育館の新築、プール新設)、その他通学の安全確保(現在までスクールバス運行による事故等は皆無)等について、町及び教育委員会、学校が一体となつて努力している。

二 財政的措置としては、毎年度統合に必要な予算は全て町議会において議決され、執行されている。

三 昭和四六年度、同四七年度公立小中学校施設整備費国庫補助金(統合校舎の新増築事業)として四七、〇六一、〇〇〇円、同四九年度公立中学校屋内運動場新築事業国庫補助金として二五、二八二、〇〇〇円の交付を受け、また神奈川県から市町村義務教育施設等整備資金による貨付金二〇、〇〇〇、〇〇〇円の貸付を受け、さらに地方財政法第五条による起債(町債)の申請をし国から合計一二三、四〇〇、〇〇〇円の貸付を受けた。これらは、いずれも中学校を統合するという理由で補助ないしは貸付を受けられたものでその総額は二一五、七四三、〇〇〇円に達している。

四 統合中学校の用地として昭和四六年中に面積九、四五一・二四平方メートルの土地を七五、二六六、二五〇円にて買増し、同年八月から同四七年七月にかけて建築費一八一、三六五、九四〇円をかけて統合校舎を新築した。また昭和四九年三月にはプールが、昭和五〇年三月には屋内運動場が一二六、八九〇、〇〇〇円で建設された。

五 なお、統合に伴なう遠距離通学生徒に対する通学費の補助は、同交付要綱に基づき毎年度対象者全員に要綱どおりの金額が支給されている。

六 統合中学校への通学条件改善のため、昭和四九年三月中型スクールバス一台を四、〇五〇、〇〇〇円で、また同五〇年一月には五二名乗りスクールバス一台を三、八八〇、〇〇〇円でそれぞれ購入し、現在牧野、佐野川地区から藤野中学校に通学する生徒のために運行しているが、昭和五四年四月一日からは統合を完全に実施するため、さらに中型バス一台を購入する契約をし、同年三月二六日には納入されることになつている。

これらの三台のスクールバスにより牧野、佐野川両地区生徒の統合中学校への通学はほとんど路線バスによらないで安全かつ確実に通学できることとなつた。

これらの諸手続及び条件整備は、前記協議会の答申、住民の統合に対する要望並びに従来からの裁判所の和解勧告の趣旨、及び県教育委員会からの統合の指針等に則り、町が他の一般行政を犠牲にしてまでも予算をやりくりして行なつてきたものであつて、統合に反対であつた住民の要求はほとんど満されたものと考えられる。

第四本件紛争の経緯

一 本件統合問題については、昭和四六年三月中学校の統合が決定されるまでの間何ら表立つた反対はなかつたが、改正条例が公布された直後から反対派の住民の運動が活発化し、同年五月牧野地区一部住民から牧野中学校存続陳情書が、また六月には佐野川地区一部住民から「統合反対陳情書」が提出された。町当局、議会は第三者の仲介等も依頼し、精力的に統合の趣旨の徹底と協力を要請したが受け入れられず、町議会は同年七月五日右陳情書を不採択と決定した。

二 その後、県議会文教常任委員会、県議等も仲介に乗りだしたがいずれも不調となり、その後統合反対派から選出された町長の解職請求―退職―選挙―賛成派町長の選出、反対派からの議会解散請求―投票―解散反対決定等町政も大きくゆれていたが、昭和四八年一二月に双方の合意により統合賛成派五名、反対派五名の各代表による中学校統合代表者会議が設けられ、統合についての話合いが続けられた。

三 その間中学校の実質的統合は裁判所の勧告等もあつて事実上中断されたが、生徒及び学校の措置については、従前の牧野、佐野川両中学校を藤野中学校の校舎とし、牧野、佐野川地区の生徒で希望する者は、当分の間従前の学区に通学することができるものとした。

四 昭和五一年六月に至り、両代表者、県議、町長、町議長、教育委員が一同に会し、藤野中学校統合問題については、県において構成される学識経験者からなる中学校統合問題調査団に統合の是非、問題点について調査してもらうこと、及びその結果については両者は最大限に尊重して本問題を解決することとの合意が成立した。

しかして、右調査結果は神奈川県教育委員会教育長から藤野町長に対する「藤野中学校統合問題の解決指針について」ということで、右調査報告書が送られてきた。

五 右報告書は結論として、本件統合は妥当な施策であつたことを認めたうえで、町当局としては通学対策及び藤野中学校が藤野町全町民の共通の中学校である認識が持てるよう努力すべきであるとの指摘がなされた。後段の指摘については、従前からも充分配慮を払つてはいるが、今後より一層教育行政のみならず、町政一般にも反映させるべく努力することとなるが、とりあえず前段の通学手段については、合計三台のスクールバスにより適正な運行計画をたて、全生徒の安全かつ確実な通学を確保できることとなつた。

六 そこで、町及び町教育委員会は、昭和五四年四月から完全統合をすべく、反対派代表者等と接触を続けたが、統合の白紙撤回以外には応じられないとのかたくなな態度を示し、また裁判所における長時間にわたる和解にも何ら解決の道が見出せなかつた。町教育委員会は再三にわたり委員会を開催し、統合条件整備の検討と、統合を延ばした場合の生徒及び父兄、町政、行政一般、町の財政事情等に及ぼす悪影響等について慎重に考慮し、またさきに町長に対し要望しておいた統合に対する町当局及び議会の意思確認をも尊重し、昭和五四年四月をもつて本件中学校の実質統合をすることに決定した。

七 右決定に従い昭和五四年三月三一日をもつて、牧野、佐野川両校舎を廃止することを決定し、県教育委員会に届出るとともに藤野中学校長に右通知を行なつた。

なお、同年一月末日藤野中学校新入生全員及び牧野、佐野川校舎に通学する新二、三年生に対しては、同年四月一日以降藤野中学校に就学するよう通知した。

第五本件中学校の統合を必要とした理由

一 被申立人(藤野町、町議会、統合推進協議会等を含む)が、本件中学校を統合するに至つた基本的な考え方は、昭和三一年一一月五日付の文部事務次官通達「公立小中学校の統合方策について」によるものである。すなわち、同通達は中央教育審議会の「公立小中学校の統合方策についての答申」を受けたもので、同答申は、町村合併の行なわれた市町村においては、地域の文化的中心であり精神的結合の基礎である学校の統合は重要な課題であり、わけても小規模学校は職員組織の充実と施設設備等の拡充を図る上に困難を伴うことが多いので、これを適正な規模にまで統合することは義務教育水準の向上と学校経費の合理化のためきわめて重要であり、学校統合を積極的計画に実施する必要がある旨述べている。

そして右答申はさらに学校の具体的方策にふれ、学校統合の基本方針については前項の趣旨に従い、国及び地方公共団体は学校統合を奨励することとし、学校統合の基準については、適正学級規模はおおむね一二ないし一八学級とし、通学距離については中学生徒にあつては原則として六キロメートルを最高限度とすることが適当としまた国は学校統合に対し助成すべきことを答申している。

二 ところで、藤野町は昭和三〇年に七カ町村が合併したものであり、昭和四六年当初においても小学校一〇校、中学校三校が設置されており、町の規模、人口、児童生徒数、町の財政状態からして、右の学校数は極めてアンバランスの状態にあつた。

しかも各学校とも小規模校で、校舎はいずれも建築年次の古い木造の老朽校舎で火災等の災害の危険性も高いものであり、また特別教室の設備もほとんどなく、設備も不充分であつたため、義務教育の充実近代化のためにも早急な教育施設、設備の充実化が望まれていた。

また、教職員の配置については、小規模校のため教職員数自体が少ない上、特に中学校においては専門教科に対応する教員が得られず、義務教育の充実に著しい支障を来していた。このことは昭和四四年度のころより生徒数が大幅に減少したため、さらに学級数が減り、教職員の配置数も減少することとなり、この傾向は向後一〇年は続くことが予測されたため、学校を統合し、適正規模の学級と教職員数を確保することが藤野町における義務教育充実のための急務と考えられるに至つた。

学校統合問題は、町村合併以来の課題であり、また財政的な見地からも、老朽校舎の改築、教育施設の設備充実のためには、学校を統合することにより、弱小市町村の財政における効率的な教育費の支出も重要な課題であつた。

三 しかして、従前藤野町に存した藤野、牧野、佐野川の三中学校の昭和三六年度から同五八年度までの生徒数の推移及び予測によると佐野川中学校は昭和四六年度において三学年合計で七四人であり、昭和五八年度にはこれが四〇人となることが予測されている。各学年生徒数が均等としても一学年平均は約一三人であり常識的にいつても適正規模とはいいえないものである。さらに、昭和四七年度以降は統合が一応為されたため、昭和五三年度までの間、牧野地区から二二%、佐野川地区から四八%の生徒が藤野中学校へ就学しているため、牧野、佐野川校舎における学級規模、教職員の配置等は著しく不適正なものとなつており、この傾向は今後当分は続くことが明らかである。

四 また、前記三中学校の校舎は、いずれも昭和二二、三年ころの建物が主体となつており、終戦後の物資不足の時代の建築であるため、建物の状況、設備の内容等はいずれも劣悪で改築改善を要する状況にあつた。しかし、国庫補助の対象となるための建物の耐力度点数は今後一〇年ないし二〇年を経過しないと充足されない状態にあることが判明し、町の財政の範囲内で右校舎等の整備を行なうことは不可能であつた。すなわち、中学校校舎の改築は、「義務教育諸学校施設費国庫負担法」第三条第一項第六号の規定による「公立の小学校及び中学校を適正な規模にするため統合したことに伴つて必要となつた校舎又は屋内運動場の新築又は増築に要する経費二分の一」国庫負担の適用を受けて行なう以外に目途が立たなかつた。

右三中学校ともその敷地は狭く、とくに牧野中学校は校庭が細長くて狭く、体育の授業にも差支える状態であつた。

五 さらに教育効果に影響を及ぼす教職員の配置状況を見ると、中学校の学習指導は教科担任制で教員はその所持する教員免許状による教科を教えることが原則であるが、学級数の少ない小規模学校においては配置教員数が限られるため(例えば三学級の場合は、教科数が一〇科目であるにかかわらず配当教員数は五人にすぎない「公立義務教育諸学校の学級編成及び教職員定数の標準に関する法律」参照)免許以外の教科を教える必要が多く(いわゆる許可免)、昭和四五年度の状況は藤野中学校三八%、牧野中学校四〇%、佐野川中学校四二%となつていた。

さらに、小規模校ほど教職員一人当たりの出張日数が多く、年次休暇、療養休暇等で教職員が休んだ場合直ちに授業に影響が現われ、自習時間の増加が顕著となつてくる。また校務分掌も増加し、教職員一人当りの負担量も増大することにより教材研究の時間も少なくなつてきており、早急な改善の必要性が認められていた。

六 前記老朽校舎の改築、学校施設、設備の充実改善を町の財政面から検討すると、藤野町の財政力指数は昭和四六年度において三一%という極めて貧弱な財政状況で、昭和四五年度の一般会計決算額が四八七、〇〇〇、〇〇〇円のところ、藤野中学校改築等に要する費用二七四、〇〇〇、〇〇〇円を計上することは、他の行政がほとんどできなくなることを意味するため、国庫負担金、地方債、県貸付金等の財政援助なくしては、校舎の改築、校地の拡張整備等の事業実施は全く不可能であつた。

義務教育の充実の基本である学校施設、設備の充実改善のためには中学校の統合は欠かせないものであつた。

第六通学条件について

一 昭和四七年度以降一部が実質的に統合が実施され、昭和五三年度までの間に牧野地区から総生徒数三七六名のうち八四名が、佐野川地区から総生徒数二〇六名のうち約半数の九九名が、路線バスあるいはスクールバスを利用して藤野中学校に通学しており、今までに統合したことに伴なう交通事故、雪害等による障害、また教育上の損失等はほとんどなく、通学対策にかける町当局及び町教委の努力は高く評価されるべきものであろう。かえつて、昭和四八年度に藤野中学校PTAが行なつた牧野、佐野川地区よりの通学生徒のアンケート結果によれば、ほとんど全員の生徒が統合中学校にきてよかつた、きてない友達も通学させたいと答えており、また通学時間についても、従前の中学校へ通学するのとくらべ、短くなつた、同じ位、余計かかると答えた者がそれぞれほぼ三分の一を占めており、中学校生徒としての通学距離、通学手段、所要時間としてほとんど問題がないことがわかる。

二 しかし、完全統合となる牧野、佐野川両地区の生徒全員が藤野中学校に通学することとなるので、町としてはスクールバスを三台に増やすとともに運転手等の要因の確保、経費等について万全を期した。また、町教委としては各地区毎に通学距離、所要時間等を綿密に調査し、かつ実際にスクールバスを運行し(この点はすでに数年の実績がある)、通学計画を決定した。

三 次に各地区別における従前の各校舎に通学する場合と、統合藤野中学校に通学する場合の対比を考えてみると次のとおりとなる。

(佐野川地区)

1 上岩公民館前、小中野からスクールバスに乗車する生徒は、自宅から出てから藤野中学校までに要する通学時間は一五~二〇分前後で、佐野川校舎に通学するのとほとんどかわりない。

2 下岩三又路から乗車する生徒は、佐野川校舎が近くにあつたため、藤野中学校までの所要時間は約二倍になるが、それでも自宅を出てから一五~二〇分程度で通学できる。

3 沢井入口、鎌沢入口から乗車する生徒は、時間的には約半分に短縮され二〇~三〇分で通学できるので、従前からほとんどの生徒が藤野中学校に通学している。

4 上河原地区の生徒は藤野中学校に通学するほうが便利であるため現在も路線バスを利用して藤野中学校に通学しており問題はない。

(牧野地区)

1 篠原上、中、下、田ケ岡、新和田から乗車する生徒は、従来牧野校舎まで一時間前後要したが、スクールバスによると自宅からでて藤野中学校まで二〇分前後で藤野中学校に通学できることとなり、通学条件は大巾に改善される。

2 奥牧野、小津久から乗車する生徒は、従来牧野校舎に六〇~七〇分を要したが、今後は二〇分前後で藤野中学校に通学でき、通学条件は大巾に改善される。

3 堂地、吉原入口、馬本から乗車する生徒は、従来牧野校舎まで二〇~三〇分を要したが、今後は一〇~二〇分程度で藤野中学校に通学できる。

4 牧野校舎に近い中尾、大久保、扇久保、小舟、また従前もバス通学が便利だつた長又の各乗車場所から乗車する生徒は、従前より所要時間が多くなるが、それでも藤野中学校までの所要時間は二〇分前後であり、他の地区と比べ特に均衡を失することはない。

5 綱子入口、菅井から乗車する生徒は従来牧野校舎まで六〇~七五分を要したが、今後は二五~五〇分前後で藤野中学校に通学できる。

6 菅井小入口から乗車する伏馬田部落の生徒は、従来の四五分前後より所要時間が多くなるがそれでも五五分前後であり、通学が著しく困難となる程の所要時間ではないと考えられる。

7 なお、この伏馬田部落及び前記長又部落の生徒は、従前も牧野中学校に遠いため、津久井町立青根中学校に生徒を委託していたが、牧野中学校の生徒が減少したため、昭和四〇年ころ同中学校及びPTAが相談し、両部落の生徒に通学費を支給して牧野中学校に通学してもらつたいきさつがあり、場合によつては再度委託の可能性もないわけではない。

四 以上述べたとおり通学条件は、統合によるも悪化するわけではなく、かえつて改善された地区が多いこと、各部落からも現在まで藤野中学校に通学している者が相当存在し、特に通学上、教育上の問題も発生していないこと、スクールバスの運行について実績があり安全が確保されること、始業時間、クラブ活動等の時間に合わせて教育委員会において教育的見地から自由に時間を設定できること、集団登下校による通学の安全の確保と非行化防止等の利点が少なからず認められるので、統合することにより通学条件が悪くなり、ひいては教育環境の低下となるとの申立人の主張は全く理由がないものといわねばならない。

なお、昭和五四年度の藤野中学校一~三年生のうち、牧野、佐野川両地区の全生徒の自宅、バス停までの徒歩、藤野中学校までのバス経路の詳細は別紙図面のとおりである。

第七同種事件の判例について

一 前記第六で述べたとおり、本件中学校統合は相対的に通学距離が延びる地域はあるものの、通学に要する時間、通学手段(スクールバスによる)、安全性等を考慮すると、従来の牧野校舎、佐野川校舎に通学していた場合に比して、通学が著しく困難になつたとか、不能になつた生徒は一人もいないし、全体的にみると通学条件は従来より改善された点(集団登下校による生徒同志の親近感の増大、安全性、非行化防止等)も少なくないはずである。

二 しかして、統合後の通学距離が適当か否かは、単に距離の長さ、通学の手段、所要時間だけから判断すべきでないのは当然で、子供の心身の発達段階の差異(小学校児童と中学校生徒では肉体的、精神的発育の程度は著しく異なるであろう)、交友関係その他の教育的側面を考慮して決すべきであろう。

この点、本件と態様が類似する富山県立山町の小学校廃止(統合)処分執行停止事件は最近の判例でもあり参考に値しよう。

原審の富山地裁昭五一・四・二八決定は、小学校統合による不便、不利益(通学距離の延長、ならびにこれに随伴する不測事態発生への精神的不安等)は、通学バスの運行によりほとんど解消しうるものであり、また精神的不安についても、今日の社会状況下(交通機関の発達とその安全性、あるいは幼稚園児でさえバスにて遠距離まで通園している事実等も、あるいは考えられていたのではないであろうか)においては、むしろ日常的なものであり、社会観念上回復困難な損害には該らないと判断している。

三 これに対し、抗告審である名古屋高裁金沢支部昭五一・六・一八決定は、児童の居宅から統合小学校まで九ないし一〇キロメートルの距離となり、旧小学校への通学距離より著しく増大し、通学バスその他の交通手段がないのではないが、右廃校処分によつて児童ら、ことに低学年児童らにとつて旧小学校への徒歩通学による自然との接触、家庭と学校との近距離感等、旧小学校に就学することによつて維持される人格形成上、教育上良き条件を失なうことになり回復困難な損害であるとした。また、統合小学校へ就学する場合、通学はバスによるにしても、冬期豪雪時の遅刻、不参はさけがたいものであり、緊急時の連絡、応急措置上の不都合、バスによる交通事故の危険等が予想され、これは一種の教育的条件の低下というべく統合小学校への就学によつて得られる諸々の利点を考慮しても、なお回復の困難な損害であるとした。

四 両決定は同じ事実認定に基づき異なつた判断をしたわけであるが、その根本的差異は、原決定がこの程度の統合による不便、不利益は、バス通学することにより解消され、かえつて統合によつて受ける教育的条件の向上を評価したのに対し、抗告審決定は、とくに小学校低学年(小学校一~三年生)の児童らに対する教育環境(徒歩通学による自然との接触、家族と学校との近距離感等)の保護に重点をおいたものと考えられる。

五 ところで、本件統合に係る紛争は中学校における統合であり、右抗告審決定にいう人格形成上、教育上良き条件云々は直ちにあてはまらないものと考えられ、またバス通学によるその他の不測の危険、不安等も藤野町においてはほとんど考えられないことであつて、右両決定あるいは更木中学校廃止処分取消請求事件(盛岡地裁昭三七・七・九判決、却下、行裁例集一三、七、一三三一)の判旨から考え、本件の場合申立人らの本件統合により回復困難な損害が生ずるとの主張は全く理由がないものといわねばならない。

第八結論

一 以上述べたとおり、本件統合は適正かつ適法に行なわれたものであり、条件整備等についても、財政的にも弱少町村である藤野町としては最大限の努力をしてきたものである。

従つて、申立人らの主張は本案について理由がないこと明らかであり、また統合決定後数年にわたり裁判所等において話し合いをしたにもかかわらず、申立人らのかたくなな主張のため和解点が見出せなくなつた今日、実質統合をすることによつて申立人らに回復困難な損害が発生するなどは決して考えられないものである。

二 さらに、本件中学校の統合は藤野町における重大な施策であり、一〇年余をかけ町の行政としても、また財政的にも最優先させてこの事業を行なつてきたものであり、仮りに本件統合の執行停止が認められるようなことにでもなければ、従来本件統合を全面的に推進してきた議会あるいは町政は大混乱に陥入ることは必至であり、統合反対派の一部の人達のため、本件統合を支持する多くの町民に多大な犠牲を払わさざるを得ない結果となる。

なお、申立人らは統合に反対する住民の署名として提出した疎甲第一三号証の一ないし三二〇の上申書について、これらの署名簿に虚構の事実を告げられ、いわれるままに署名した者が右のうち半数以上おり、申立人らの牧野、佐野川地区の多くの住民が統合に反対しているとの主張は根本からくつがえさるべきものである。

三 仮りに本件統合が挫折(執行停止決定がなされれば、それは直ちに統合の完全挫折を意味するであろうことは、先の判例等に係る事件の推移からみても想像に難くない)した場合、現在までに払つてきた藤野町、議会、教育委員会その他大多数の町民の努力が水泡に帰すのはもちろんのことながら、七年有余にわたり実施されてきた統合の現実は復することは不可能であり、さらに国庫補助金等の返還を余儀なくさせられ、その損害金は一〇%をこえるものであるから返還額はほぼ倍額の即時返還となり、またバスの購入その他統合のために支出した金員の負担は莫大なものとなり、藤野町の町政、一般行政、財政等に与える影響は、計り知れないものがある。

四 以上述べたとおり、申立人らの主張は本案について理由がないこと明らかであり、また回復困難な損害でもなく、さらに執行の停止を認めることは公共の福祉に重大な影響を及ぼすおそれが顕著であるので、本件申立はすみやかに却下されるべきものと確信する。

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